2009/09/24

劣化しちゃうよ、日本人。

ボクは、思った事をノートに書き留めているのですが、以前書いたノートを友人数人で編成しているオンライングループで見せたところ広く公開した方がいいのではとのことで、身近なツールとして、ブログを選んで公開してみます。

日本人が日本人でいることに対する考察ですが、そもそも日本人でないボクがなに言ってるんだという意見もあるでしょうが、そこはご愛嬌。あたたかい目でみてください。

日本で育ち、日本人にお世話になった、日本が大好きなガイコクジンの意見として見て下さい。

↓ココカラ

数ヶ月前に、日本から来た大学生たちにふれあう機会があった。話しているうちに英語を学ぶ理由として、多くの学生に聞いた場合、アメリカ人と同等に渡り合いたいからとの理由があがってくることに気づいた。そこで、果たして英語を習いたいという理由として、渡り合いたいという心構えがいかがなものなのかを考えてみた。

まず、学生があげる主な理由としてのアメリカ人と同等に渡り合いたいからというのは一見まともな意見として聞こえるが、よく考えてみると、現時点で日本人がアメリカ人と同等ではないということを言っているのと同じことだと気づいた。さらに言うと同等に渡り合いたいというのは、自分達、日本人がアメリカ人を地位的に上にみているということなのではないかということ。これは、香山リカ氏の「なぜ日本人は劣化したのか」にも書いてあるように日本人がボクが定義している国際社会に入っていく、もしくは国際社会での地位をあげる点において危ない認識なのではないかと思われる。

(中略)

アメリカ人は決して優れているから英語をしゃべれるのではなく、歴史的背景を通じて英語が世界の公用語(これについても疑問だが!?)になっているだけで、要は現在を考えた場合、別に公用語になっている言語をしゃべる人種は優位だが、しゃべれることが、イコール、すぐれている人種というわけではない。

そこで、英語をしゃべりたいという理由はただ単に多くの人としゃべりたいというのが国際社会での有るべき正解に近く、特に日本人に関しては第二次世界大戦での敗戦などの歴史的背景はあるものの、今を生きる日本人、特に学生をさすのだが、負い目を感じることは必要ないのである。

(中略)

以前、海部美知氏のセミナーに参加したときに彼女は「日本は変わらないといけない」と言い続けていた。もちろん、セミナー後のディスカッションで「日本人でいること自体すでに変わっている」との反論もあるのだが、それは海部氏の言っている「変わらないといけない」という言葉の本質を誤っていると思われる。というのも、当たり前の話だが時代は変化しそれにより世界情勢も変わる。それにおいて変化がないというのはただの変化をする努力を怠っているだけだと思う。日本には米国に負けない長い歴史がある。日本人ではないボクですら誇れる歴史だと思う。言いたい事がある。日本の歴史を重んじようと屁理屈をこね、変化を嫌う人間。日本の歴史をよく見てみると、日本の歴史には変化が節目節目とありそれが日本が誇れる歴史を構成しているのである。今、日本人は今の歴史、未来からみたあの時の変化を作る時代にあるのだと思う。

(中略)

気付いてほしい。日本人である自分を再認識、再構築する時代が今すぐそこに迫っている。